妊娠のメカニズム
妊娠のメカニズム
女性のからだは変化している
不妊治療は、なぜ妊娠できないのか、その原因を調べることからスタートします。原因がわかれば、治療も効率よく進めることができるからです。患者さんが初めて不妊の相談で訪れた場合はもちろんですが、これまで他の病院やクリニックで治療を受けていた人にも、これまでの検査や治療の経緯を聞きながら、基本的な検査をもう一度行ないます。
なかには、「先生、その検査は前の病院でも受けました」といって受けたがらない人もいますが、検査というのは、やり方しだいで結果も変わってきます。また、からだの中の状態は少しずつ変化しているので、以前に検査を受けた時と同じ状態とは限らないからです。 たとえば、前の病院ではどうしても妊娠できなかった人が、当クリニックに来るようになってから1回のタイミング療法で赤ちゃんができたケースもあります。
このような場合は、以前から受けていた治療のおかげで卵巣機能が改善され、子宮の状態も良くなっていたと考えられます。そのような良い条件の上に、私が処方したホルモン剤の組み合わせや、排卵日の特定などがピタリと合ったのでしょう。つまり、妊娠に必要な条件は刻々と変わっているため、新しい治療を開始するにあたって、基本的検査によって把握することは必要不可欠なのです。
基本的検査から得られる情報はさまざまで、その人のからだの状態や体質を把握するためにとても重要です。
また検査結果や数値から何をどう読み取るか、判断するかは医師の技量にも大きく関わっています。医師はこれまでの経験に基づき、新しい情報や報告などを組み合わせて診断し、より改善に期待ができると思われる治療法を考えていくのです。
不妊治療はパートナーと心を合わせて
最近は、男性に不妊原因があることも増えているため、精子の状態や性機能を調べる必要があるケースもあります。ところが、「次回はご主人と一緒に来てください」とお伝えしても、なかなか来たがらない男性もいます。男性はとてもナイーブですから、もし自分に原因があったらという恐怖感もあるのでしょう。
そのようなときは、検査結果の数値を示しながら男性への説明のしかたを下記のようにアドバイスすることもあります。
「先日のフーナーテストの結果が悪かったので、ご主人の精子を調べる必要があります。ただし、必ずしも精子が悪いというわけでもありません。たまたまた体調が悪かったことも考えられますし、疲れていただけかもしれません。1回の検査では正確な診断はできないので、やはり一度、ご主人にも来ていただいたほうがいいと思います。そうご主人に伝えてください。」
夫婦の信頼関係ができていれば、男性も協力を惜しまないものです。検査結果を示し、このような治療をすれば改善できます、妊娠の可能性はグンと高まりますとエビデンス(医学的根拠)に基づいてきちんと説明すると納得してくれます。自分が努力すればふたりの赤ちゃんが生まれる可能性があるのだということがわかると、驚くほど治療に積極的になる方もおられます。
精子の状態が悪くなる原因としては精巣や精管にトラブルがある場合もありますが、生活習慣を見直すだけで改善するケースも少なくありません。睡眠や休養を十分にとり、からだを休めるように心がけるだけで、精子の数が増えたり、運動率が驚くほどよくなることも少なくありません。また、漢方薬で体質を改善することで、精子の状態をよくすることもできます。
妊娠はカップルふたりの努力があってはじめて実現することを知っていただくことが、私たち不妊治療を専門にしている医師の役目であるとつくづく思います。
妊娠の不思議なメカニズム
妊娠、出産は実に複雑なメカニズムの中で進んでいくことがわかれば、どのような状態になると妊娠しにくくなるかということも理解できると思います。
自然な状態で妊娠するためには、十分に成熟した卵(卵子)と、卵のところまで移動していくことができる運動性の高い精子が必要不可欠です。
そのために女性に備わっている生殖器官は卵巣、卵管、子宮、膣などで、男性には精子をつくる精巣(睾丸)や、精子に運動エネルギーを与える前立腺、女性の膣内に精子を送りこむためのペニスなどの生殖器官が備わっています。
卵巣の中で成熟した卵は1カ月に1個、排卵され、卵管の中に入ります。射精された精子は子宮頸管をくぐりぬけて子宮内に入り、上方へと泳ぎ、卵管に入ることができると、卵管の中で待っている卵と出会い、卵の中に入りこむことができると「受精」が成立します。受精卵は、分割を繰り返しながら約3日かけて子宮に下りていき、フカフカした子宮内膜に着床します。こうして「妊娠」が成立するのです。 もちろんまだ安心はできません。順調に育つことができなければ自然と死滅したり、はがれて落ちて体外に流れ出てしまいます。「流産」してしまうわけです。
このように妊娠はとても複雑なメカニズムで、これらのプロセスのどこかにトラブルがあった場合はうまく妊娠することができません。あるいは妊娠したとしても胎児が育ちません。何度、妊娠しても流産をくり返すということになってしまいます。
女性は、母親の胎内にいるときから、卵巣の中で原始卵胞と呼ばれる「卵のタネ」がつくられます。生まれたばかりの女の赤ちゃんの卵巣内には数百万個の原始卵胞があるといわれていて、成長とともに少しずつ減っていき、初潮を迎えるころには3~5万個になっています。さらに自然淘汰は続き、50歳前後の閉経までに実際に排卵される卵は400~500個ほどです。卵巣は子宮をはさんで左右二つあり、原始卵胞が約4ヵ月かけて成熟卵胞に育ちます。そして毎月1回、左右どちらか一方の卵巣(原則的には左右交互に)から卵が飛び出します。これが「排卵」です。
もっとも大きく成熟し、排卵する卵胞は「主席卵胞」と呼ばれます。昔は学校でいちばん学業ができる人は「首席」といわれたり、政治の世界でも共産国では国家のリーダーを「主席」と称していますが、同じような意味と考えてください。面白い呼び方ですが、イメージはよくわかると思います。
卵の寿命はわずか1日しかない
卵巣から腹腔内に排卵された卵は、卵管の先端にある卵管采に取りこまれます。卵管采はヒラヒラした花びらのようなかたちをしていて、まるで卵をつかみ取るように卵管の中に入れるので、このことを「卵のピックアップ」と呼んでいます。
卵管内にピックアップされた卵は、卵管采の奥にある卵管膨大部(卵管がいちばん太くなっている部分)で精子を待ちます。あるいは、すでに精子が卵管膨大部まできていることもあります。どちらが先に卵管膨大部に到着するかは、排卵と性交のタイミングにかかっていると考えてください。卵の寿命は約1日。精子の寿命は約3日。この短い時間の中で卵と精子がタイミングよく出会うことができれば受精の可能性があるというわけです。
不妊治療の基本とされるタイミング法は、女性の体内のホルモンバランスを調べて卵胞の成熟状態や排卵日を予測し、1日しかない卵の寿命に合わせて性交をして精子を送りこむ方法です。「タイミング法」と呼ばれる意味がよくわかると思います。
ところが、この「タイミングを合わせる」ことは簡単なようでなかなかむずかしいのです。患者さんたちは、「排卵日に合わせてセックスをしています」とおっしゃいますが、排卵日の判断もおおまかだったり、卵の寿命は1日しかないことを知らない方もたくさんいます。
そのため本人たちは排卵に合わせて性交しているつもりなのですが、じつは卵と精子との出会いの瞬間がピタリと合っていない場合が多いのです。その結果、思うように妊娠できないでいると言っていいでしょう。
性ホルモンの絶妙な連携プレー
「ホルモンのバランスを調べてタイミングをはかる」と書きましたが、卵巣、卵管、子宮の連携プレーを支えているのは、脳や卵巣から分泌されるホルモンの働きです。人間の体内では数多くのホルモンが分泌されていますが、妊娠に関わるホルモンは「性ホルモン」と呼ばれます。
性ホルモンにはこれから説明していくようにいくつもの種類がありますが、精妙なホルモンの流れのスタート合図をする役目をしているのは間脳の視床下部から分泌されるゴナドトロピン放出ホルモン(GnRH)というホルモンです。
ゴナドトロピン放出ホルモンは「性腺刺激ホルモン放出ホルモン」とも呼ばれています。「ゴナドトロピン(性腺刺激ホルモン)」とは、視床下部に隣接した下垂体(脳下垂体)から分泌される卵胞刺激ホルモン(FSH)と黄体化ホルモン(LH)の2つのホルモンのことです。視床下部からゴナドトロピン放出ホルモンが分泌されると、その刺激を受けて下垂体から卵胞刺激ホルモン(FSH)が分泌されます。
FSHが血液に入って卵巣に運ばれると、卵巣内の卵胞の成熟が進み、成熟した卵胞から卵胞ホルモン(エストロゲン=E)が分泌されます。エストロゲンは別名「女性ホルモン」と呼ばれることからもわかるように、妊娠においてもさまざまな重要な働きをしています 卵胞が成熟すると、下垂体からもう一つのゴナドトロピンである黄体化ホルモン(LH)が分泌されてきます。LHの役目は排卵を起こさせることです。LHの刺激によってもっとも大きく成熟した卵胞(主席卵胞)が自然に破裂し、卵が卵巣の外へ飛び出します。
排卵したあとの卵胞や、排卵しなかった卵胞(主席卵胞以外の卵胞)は卵巣内で自然としぼんでいきます。しぼんだ卵胞は「黄体」と呼ばれ、この黄体から黄体ホルモン(プロゲステロン=P)が分泌されてきます。黄体ホルモンの働きは、子宮内膜を厚く、やわらかくさせて受精卵が着床しやすくすることです。排卵が起こると同時に、妊娠に備えて子宮の状態を整えるのが黄体化ホルモンの役割と考えるといいでしょう。
さて、卵巣から排卵された卵は、卵管采によってピックアップされて卵管内に入ります。そして、卵管膨大部で運よく精子と出会い、受精することができると、ゆっくりと子宮の中に下りていきます。受精卵が無事に子宮内膜に着床して妊娠すると、卵巣からの黄体ホルモン分泌量はさらに増え、子宮内膜はフカフカの状態に保たれ、胎児のベッドになります。
もし妊娠しなかった場合は、黄体は固く萎縮して白体となり、黄体ホルモンの分泌も少なくなります。やがて厚くなっていた子宮内膜は自然とはがれ落ち、体外に排出されます。これが月経です。月経が起こると、間脳の下垂体から再びゴナドトロピン放出ホルモンが分泌され、卵胞刺激ホルモン、卵胞ホルモン、黄体化ホルモン、黄体ホルモンなどの分泌が連鎖的に起こり、次の排卵へと準備が進んでいきます。これが女性の排卵サイクル、月経周期です。
じつに複雑で精妙なホルモンの連携プレーでコントロールされていることがよくおわかりいただけると思います。
受精できる精子はラッキー
精子と卵はどのように出会い、どのように受精卵ができるかをもう少し詳しく見てみることにしましょう。
精巣(睾丸)でつくられた精子は、前立腺やカウパー腺などの分泌液と混ざりあって精液となります。精子は、頭部、体部、尾部から成っていて、頭部にDNA(遺伝子)が入った細胞核があります。体部にはミトコンドリアが凝縮されていて、ここでつくられるエネルギーによって尾を動かし、ひたすら卵とのドッキングをめざすのです。
1回の射精で放出される精子の数はおよそ数億。まず最初の関門は子宮の入り口である子宮頸管です。子宮頸管をくぐり抜けるのに成功した精子は、子宮内膜にそって上行し、卵との出会いの場である卵管膨大部へと向かいます。こうして卵の周囲までたどりつける精子は数百ほどといわれています。なんと100万分の1の割合でしかありません。だからこそ、自然妊娠のためには精子の数が十分にあることが必要なのです。
卵子は透明で固い殻(透明帯)に包まれていて、さらに周囲を何層もの卵丘細胞でガードされています。受精するのはたった1個の精子。 卵子にたどりついた数百の精子は卵子の周囲にとりついて卵丘細胞をくずしていきます。ようやく透明帯が出てくると、精子は頭部から出る酵素で透明帯に穴をあけていきます。やがて透明帯に穴があき、1個の精子がタイミングよく卵の中に突入した瞬間、透明帯の穴はふさがり、他の精子は進入不可能となります。これが受精の瞬間です。受精できた精子は、パワフルな精子であると同時にラッキーな精子であるということもできます。多くの精子の共同作業の結果、透明帯を突破して卵の中に入ることができたからです。
受精した卵の中では、卵子のDNAと精子のDNAとが合体し、受精卵となります。受精卵は2分割、4分割と細胞分割しながら卵管の中を子宮に向かって少しずつ移動していき、受精からおよそ5日目に子宮内膜の上に達します。このころになると卵胞ホルモンや黄体ホルモンの作用によって子宮内膜は厚くやわらかくなり、着床しやすくなっているというわけです。 子宮内膜上に達した受精卵は硬い透明帯から出て、子宮内膜の細胞と結合を始めます。これが「着床」で、着床したことで「妊娠」は成立するのです。
卵胞の成熟、排卵、卵管へのピックアップ、受精、着床という驚くほど精妙な妊娠のプロセスのどこか一か所でトラブルが起こっても次の段階へ進めないために妊娠できなくなるのです。したがって、不妊治療は、どの部分にトラブルがあるのか、どの段階で妊娠のプロセスが止まってしまうのかをつきとめることが重要になってきます。「不妊原因」を知ることで治療のしかたも治療の時期も変わってくるからです。
ただし、検査によって原因が明らかにならないこともあります。そのような場合は、いろいろな方法を試しながら治療を進めていくことになります。治療の段階で原因が明らかになることも多いので、ふたりが心を合わせて一歩一歩、ふたりの赤ちゃん誕生に向かって進んでいくことが大切です。